本日はクリスマス礼拝です。教会も飾り付けをしていつもよりウキウキ、ワクワクしますが、今日の聖書の舞台は夜です。真っ暗な夜。それは私たちの心を象徴しているようです。悲しく辛い出来事から夜のように感じたり、あるいは誰にも触れられたくない、聞かれたくない過去や傷が心の闇になっていたり。しかしそのような真っ暗な夜に神様の光が差した、これがクリスマスです。12月24日の礼拝は、ルカの福音書2.1-20から「この方こそ主キリスト」と題してメッセージです。
場所のないイエス様
皇帝の命令で住民登録をすることになったヨセフとマリアはベツレヘムへと向かい、そこでイエス様はお生まれになります。なんとイエス様が生まれて寝かされたのは飼葉桶でした。その理由は「宿屋には彼らのいる場所がなかったから」です。これは単に宿屋が満室だったというよりも、人の心の状態ではないでしょうか。すなわち、救い主イエス様をあなたの心にお迎えする場所はありますか?ということです。イエス様をお迎えし、仕えた人たちは、平和とゆとりの内に過ごします。忙しく日常生活で慌ただしいとき、そこにイエス様の「場所」はあるでしょうか。
羊飼いに会われたイエス様
イエス様の誕生はまず羊飼いに知らされます。エサのために町に住むことも、神殿で過ごすことも、社会生活を共にすることもできない人たちに、です。それはイエス様に会うことができない人はいないということです。彼らは「恐れることはない、あなたがたのために救い主が生まれた」と聞きます。イエス様はあなたのために生まれました。このことが信じられるでしょうか?羊飼いもそう思ったでしょう。しかし聖書は告げます。「あなたのために生まれた。あなたのために来た」と。
飼葉桶に寝かされたイエス様
イエス様が生まれて飼葉桶に寝かされたことはここに三度も書かれます。すべてのものを持ち、権力と権威の源であるお方が飼葉桶に寝かされたのは、紛れもなく私たちのためです。私たちと共にいるためにすべてを捨てて低くなられたのです。神であるお方が人として生まれ、場所もなく、飼葉桶に寝かされ、羊飼いに告げられた。それは私でもイエス様に会うことができるためであると感動をもって信じます。