私が教会に来たキッカケ
( Mさんの場合 )
小学生の頃、同じクラスのお友達が教会に行っていると聞いて私は教会に行くようになりました。中学生になったとき、聖書の学びを通して「イエス・キリストは私の罪のために十字架にかかられた、イエス・キリストの十字架によって私の罪はゆるされた」ということを聞きました。私は罪という言葉にドキッとしました。お友達をいじめたことがあったからです。私には罪がある。でも私がしてしまったことと、2000年も前のイエスさまがしたことと何の関係があるのだろうと思っていました。
やがて大学生になり、いつものように教会へ行くと聖書の言葉が胸に飛び込んできました。「あなたが生まれた時から、わたしはずっとあなたを導いてきた。あなたが誕生した時から、わたしはあなたの面倒を見てきた。あなたが年をとってからも、わたしの態度は決して変わらない。あなたが白髪になっても、わたしはあなたの世話をしよう。わたしがあなたを造ったのだから、わたしがあなたの面倒をみよう。」(イザヤ書46章3-4節、NCV)
私が神様のことを知るよりも前から、私が生まれるよりも前から神様は私を心に留めてくださっていること、目には見えないけれど親が小さい子どもをおんぶするように神様が私を背負い続けてくださっていることを知りました。こんなに私のことを愛してくださる神は他にいないと思いました。そしてこんな私を救うためにイエス様はもう2000年も前に十字架にかかられたのだと受け止めることができました。神様に愛され、赦されている安心感で、人にも自分のした過ちを認めることができるようになりました。自分がたくさんゆるしてもらったように、私もそんな人になりたいと思っています。
( I さんの場合 )
私は⽬の上にあざがあり、幼少の頃、⾮常な劣等感を持っていました、友達から意地悪をされたこともありました。幸い教会学校に通っていて、サムエルさん(聖書の中の登場⼈物)の話を聞き、「顔かたちや⾝のたけを⾒てはならない。…わたしが⾒るところは異なる。⼈は外の顔かたちを⾒、主は⼼を⾒る」という聖書の⾔葉で、劣等感を持つ必要はないんだ!神様だけは私の⼼を⾒て理解して下さるんだ!という確信と喜びを持つようになり、もっと神様を知りたくて 聖書を読んだり、聖書通信講座を何度も受けました。中学校1年生のクリスマスに「神はそのひとり⼦を賜ったほどに、この世を愛して下さった。 それは御⼦を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」という聖書の⾔葉を通して、私を罪から救うために神様が⼤切なイエス様を贈って下さったのだと知り、神様の⼤きな愛に感謝し、「主よ信じます。私に永遠の命を与えて下さい」と何度も祈りました。 以前は劣等感の塊で負けず嫌いで頑固な性格でしたが、神様に出会って劣等感がなくなり、「イエス様だったら、こんな時どうされるだろうか」と考えて、⼈に優しく接することができるようになりました。19 歳で洗礼を受けてから今⽇に⾄るまで、様々な節⽬がありましたが、「わたしは必ずあなたと共にいる」と⾔われる神様の導きを実感しています。
(Hさんの場合)
「子よしっかりしなさい。あなたの罪は赦された。」
お友達と一緒に遊び半分でお店のビー玉を盗んでしまった。楽しいのは一瞬、後から私の心は重く苦しくなった。イエス様が私の悪い行いのために十字架にかかり罰を受けて下さったと悔い改めた。ごめんね、ありがとうイエス様。
「平安があなたがたにあるように」
どうして私の家族が事故に合わなければならなかったのか?どうして争いがおこってしまうのか、こんなに苦しいのは私だけだ。虚しさに囚われ自分の殻に閉じこもり沈んでいくしかなかった無力な私にイエス様が触れてくださった。イエス様の手には十字架の傷跡があった。主はたしかに復活して生きておられる。復活の主イエスに出会ってから私は生きるためにもう一度立ち上がることができた。明日も生きよう主が共におられるから。
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」
主イエスにある神の愛につながるとき、愛はあふれ出る。私だけにとどまるはずがない神様の大きな恵み、私から大切な家族へと神の救いのバトンは続いていく。
「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さの内に完全に現れるからである」
私達が出会った試練、受けた傷、こんなこと起こらなければよかったと絶望の淵で十字架の主イエスに出会った。その傷から祝福が注がれる、新たな命への回復が始まる。私の唇から嘆きが取り去られて、生ける神への賛美が生まれた、ハレルヤ!
(Tさんの場合)
私は、3年保育から通っていた幼稚園がキリスト教系の幼稚園でした。そのため毎週日曜日には小さなポシェットに100円玉を入れてもらって礼拝に通っていました。夏のキャンプファイアーやお泊まり会などもあり、とても楽しい幼稚園時代でした。しかし、引越しによって新しい土地に行くと神様のことを思い出すことはなく、聖書のことも忘れてしまいました。
それから3年が経った頃、家庭内に問題が起こり、両親の仲が悪くなりました。母は、私と2番目の姉を近くの教会の日曜学校に連れて行ってくれました。その当時、お若かった牧師ご夫妻は、温かく私たちを迎えてくれ、家にも訪ねてくださいました。ある日、白髪の背の高いアメリカ人宣教師が、我が家に来てくれました。そして、客間に姉二人と私を集めました。私は、ゲームが早くしたかったので、父のことをもう父とは思っていないと嘘を言いました。宣教師はこの言葉を聞いて、姉二人を外に出し、私に言いました。「あなたの心は、冷たくなっています。私は、今からあなたを抱きしめようと思います。」
そうして、私を抱きしめてくれました。大人の男性ってこんなに大きい胸をしているんだと、足がふわふわするような不思議な感覚を初めて覚えました。先生は、「嫌ではないですか?」と配慮してくださいました。私の父は癇癪持ちで、おっかない存在でした。怒らせたら、手のつけられない人。気に沿わなければ見捨てることもある。しかし、この宣教師のあたたかく丸ごと包み込む存在に出会えたのは、とても貴重な体験でした。
それから10年近く経ち、浪人生活を3年しました。受験勉強は熾烈を極め、私は体調に異変を覚え始めました。まず、朝が起きられなくなりました。また、一生懸命勉強してももう頭に何も入らなくなってしまいました。予備校の教室に入るのがしんどくなり、他の人の視線が気になり始めました。なんとか耐えよう、踏ん張ろうとしたのですが、もう頑張れなくなってしまいました。家で、何もせずに昼夜逆転の生活が始まりました。そして一番感じたのが、父に対する憎しみ、怒りでした。私の心は父への敵対心でいっぱいでした。数ヶ月後、母からカウンセラーを紹介され、面接をするうちに死にたいという思いがあることがわかり、精神科の病院への入院を勧められました。私は悩みました。一番上の姉には結婚を考えている相手がいました。今よりもずっと社会的な偏見がある時代です。しかし悩んだ末、入院することにしました。入院して、1ヶ月くらいで仲間が十人ほどできました。その中の一人がクリスチャンだと分かりました。それで友達について、久しぶりに教会へ行きました。その日の礼拝の聖書の言葉と、子供の頃に通っていた日曜学校で覚えた御言葉が同じで驚きました。この頃、心の中には絶望しかありませんでしたが、ここで出会った人々から温かいものをもらって、砂漠にあるオアシスに辿り着いた気がしました。
それから2、3ヶ月後に洗礼を受けました。教会の方々に優しくしていただき、私の心も癒されていきました。そして、聖書の言葉によって、父のためにも祝福を祈ることができるようになり、和解することができました。今は怒りではなく、喜びをもって生きています。